2020年9月25日金曜日

㉒善立寺 天空のお堂と静かな観音堂

 


ご無沙汰です。

善立寺に行ってたのは残暑厳しい季節でした

気が付けばもうめっきり寒くなってしまいました。



㉒善立寺は結構大きな幹線道路沿いにあります。周りもコンビニや住宅があってにぎやかな場所です。



境内は観音堂と住宅が一階部分に、本堂は少し上がった2階にあります。

本堂から見る景色は周りの民家や田んぼを見下ろすようで良い眺めです。

1690年からこの地にあるとのことです。

400年前と今ではこの景色はどれほど違うのでしょうか・・・



御朱印を頂いている間、「観音堂中入りますか?」とご住職さまの奥様が案内してくださいました。

賑やかな住宅街の中にある観音堂はそこだけ時が止まったようにシーンと静まり返ってました。

観音様を眺めながら10分ほど、心が整う感覚がわかります。


巡礼歌 身を捨てて人を救うは法の道 衆生さいどは諸仏なるべし

私利私欲を捨て悩める人を救うのが仏の教えであり
大衆を迷いから救い、悟りの世界へ導いてくれるのは仏や菩薩である

人を救うということはこれほどまでに辛く険しく、尊い事なんだと改めて感じました。


次は㉓光明寺です。近日中に更新したい・・・


2020年9月13日日曜日

㉑泉龍寺 近くて遠い回る般若心経

 


㉑泉龍寺 実は家から徒歩五分のものすごく近所のお寺です。



近いけど敢えて行くことはなく・・・
散歩がてら通ったことはあるけど・・・中に入ったことはなく
考えてみればお寺ってそう言う存在なのかもしれません
あえて「訪ねよう」と決心しないとなかなか立ち寄らない場所
法事やお墓参り以外でお寺を訪ねる機会があるのは少し得したような気分です。




何気なく寺巡りをはじめて3か月、20か所お寺を回って思うことは

「祈る」って何だろうということです。

別にお祈りをするなら家の神棚でも木彫りの熊でも何でもいいわけであって・・・

わざわざ寺に行く必要なんてどこにもないのではと思うのです。

これについてはまだまだ修行不足で判らないので
もう少しお遍路をして考えてみたいと思うのです。


般若心経の石塔がありました、回すとびっしり般若心経が書かれています。
よく般若心経は比較的短くシンプルにまとめられているお経らしいです。
機会があったら覚えてみようかな?


かなり日にちが空いているのは内緒です(笑)
更新をサボっているのがバレてしまう・・・。
次回は㉒善立寺です。

2020年9月4日金曜日

⑳西福寺 ~寺に染み入るセミの声~

 


いよいよ大台20番です。

廃寺になったお寺もあるので実質10を切った感じです。

思いつきではじめてから3か月、秋までには終わるかな?





線路の下(多分中央西線)車一台やっと通れるトンネルをくぐると
お地蔵さんが並んだ大きな山門があります




かなり広い境内に大きなお堂です。

丁度工事の業者さんが入っていて忙しそうでした。お盆前のお寺はいろいろと忙しそうです。




開山した和尚様の袈裟が残っているそうです。16世紀からですか・・・その頃の袈裟ってどんな素材でどんな色の布だったのでしょう?
きっと今みたいに何でも手軽に買える時代ではなかったから大切に大切に使われてきたんでしょうね




山の一角にお寺があるという雰囲気なので森の中にいる感じです。
とにかく蝉の鳴き声が多くて今まででいちばん賑やかなお寺でしたwww

山中のセミの声がお寺に響きわたって本当に染み入ってきそうな感じでした。

こうやって何百年もセミの鳴き声を聞きながらこのお寺はこの地に立ち続けていると思うと、自分は・・・というか人間ってこの世界の中ですごく小さくて脆い存在なんだと実感します。

だから安心したくて救われたくて祈るんですね。33か所お参りを済ませた後どんなきもちになるんでしょうか・・・



ということで今回はここまで。

次回は家から徒歩で行けるお寺 ㉑泉龍寺です。

御朱印帳